スゴ育児

息子育ての狂気の日々

○○だったらどうする?という口癖

 息子の口癖

もし○○だったらどうする?
というのは息子の口癖だ。
いつでも、どこでも、どんなときでも、
出てくるフレーズだ。

○○の中には、
ポジティブなフレーズもネガティブなものも入る。

もし、おばけが来たら?
もし、泥棒がいたら?
もし、エレベータが開かなかったら?

もしかすると、この問いは不安に表れではないか、
と思うところがある。
なぜならば私自身、場合分けと事前に対処を決めて、
不安を軽減しているからだ。

フレーム問題

AIの分野でフレーム問題という難問がある。
AIロボットにバッテリーを取りに行かせる課題で、
バッテリーに爆弾が付いていると、
AIロボットは爆弾ごとバッテリーを持ってきて、
爆発してしまったり(1代目)、
あらゆる状況を想定しようとして、
停止してしまったりする(2代目)
という課題のことだ。

私自身もそうなのだが、
息子は二代目のロボと似ているところがある。
あらゆる事態を書きだして、
対処法を用意したい。
しかしそのための時間と労力が足りないのだ。

実際の社会では想定外のことが起こり得る。
その際、私や息子はビジー状態になるだろう。
しかし、予め準備しておけばその通りにできる。

このフレームのうちのいくつかは、
社会において「常識」と呼ばれている。
つまり、私や息子は常識に疎いというわけだ。

一方、常識が悪さをしているときは、
私や息子の出番だ。

フレーミング

息子の口癖がポジティブに働く場合もある。

もし、もっと若かったら?
もし、お財布がパンパンだったら?
冷蔵庫にプリンが百個あったら?
考えただけでもワクワクする。

どんな絶望的な状況であっても
「まだだ、まだ終わらんよ。」
と口走りたくなる。

長い年月をかけて、自分や周囲からかけられた
限界や諦めの呪いは、フレーミングで消え去る。

ドラクエ3の「シャナク」だ。

専属コーチとしての息子

大人になるにつれて、
多かれ少なかれ常識を獲得してきた。
無意識的にできるようになったわけではなく、
あくまで意識的にできるにすぎないわけだが。

すると、私自身の発想は、
常識に縛られやはり貧相になっていく。
そんなとき、息子がシャナクを唱えてくれる。

すると、呪いのアイテムが消え去り、
もう一度、狂気に満ちた「私」が蘇る。